天体の動きなら計算できるが、群集の狂気は計算できない。
一生を振り返ると、わたしは砂浜できれいな貝がらをひろって喜ぶ小さな子供にすぎない。
目の前には手も触れられていない真理の大海原が横たわっている。だが、私はその浜辺で貝殻を拾い集めているに過ぎない。
私は、海辺で遊んでいる少年のようである。ときおり、普通のものよりもなめらかな小石やかわいい貝殻を見つけて夢中になっている。真理の大海は、すべてが未発見のまま、目の前に広がっているというのに。
神はすべてを数と重さと尺度から創造された。
年がら年中、そのことばかりを考えていただけです。
天体の運動はいくらでも計算できるが、人の気持ちはとても計算できない。
どんな行動にも、必ずそれと等しい反対の反応があるものである。
人間は事実に反することを想像してもよいが、事実しか理解することはできない。事実に反することを理解したとしたも、その理解は間違っている。
発見する方法は、簡単です。1週間、1ヶ月、1年と、そのことだけを考え続けるのです。そうすると月明かりが指してくるように、問題が見えてくるのです。
真理の大海は、すべてのものが未発見のまま、私の前に横たわっている。
若いときは、他の人の仕事をするのを決して嫌がらないことだ。そして歳をとれば、自分よりもよくできる人の仕事には決して手を出さないことだ。
諸物の多様さと混乱のうちにではなく、つねに単純さのうちに真理は見出される。
プラトンは私の友、アリストテレスは私の友。しかし、最大の友は真理である。
もし私が価値ある発見をしたのであれば、それは才能ではなく忍耐強く注意を払っていたことによるものだ。
今日なし得ることに全力をつくせ。しからば明日は一段の進歩あらん。
私たちは多くの壁を立てているが、十分な橋をかけていない。