ユーモアが時折顔を出す生き方は、大人の男には必要なことではなかろうか。
めでたいことをともに祝うのには責任がある。
一見、無駄と思える銭を使いなさい。
ただ安心、安堵を感じる周辺に、しあわせに似たものがある。
あの笑顔は、すべて私のためだったのだ。
己以外の誰か、何かを豊かにしたいと願うのが大人の生き方ではないか。
この世で生きて、出逢うこと、それだけで十分に価値がある。
頭で考えたらだめだ。頭で考えるものは、たかが知れている。
いつも何かを模索し、何かを求め、手をさしのべておかないと運は降りてこない。
知識なんかよりもはるかにたしかなものは、人間が生きようとする、生きがいを感じる場所と時間なのだ。それが故郷というものであり、母国というものだ。
仕事は自分のためにするものではない。すべて誰かのためや、社会を豊かにするために行うものだ。だからこそ、歯を食いしばって打ち込むかちがある。
要するに3通りしかないんだよね。ひとつはね、強いやつについていく。もうひとつは逃げる。3つ目は独りで闘う。
電車に乗るたびに、一人車窓を眺めている人を見かけると、できることなら心躍る電車行であって欲しいと思う。私が車両の中で静かにするのを心がけるのは、そこに哀しみの帰省をする人がいるはずだと思うからだ。
大人の男は、生き方の根みたいなところを外さないことが大事。「男はつらいよ」というのは素晴らしい言葉で、大したものですよ。
私が35歳でこれから何をして生きていくか決めなければならなかったとき、おふくろが「不得意なほうを選びなさい。そうしたらお前は少しは努力するから」と言った。それで小説家の道を選んだ。おふくろには感謝してる。
許せないことがあるのは空気や水と同じように自然なもの。そう理解することが大切です。最もしてはいけないのは、許せない自分を「器の小さい人間」といつまでも悩むこと。許せないことに出会い、それを乗り越えていくことの積み重ねで人は成長していくのです。
家族はやっぱり一緒に暮らすべき。家族が一緒になっていると、だいたいなんとかなる。
生きるということは出逢うことだけど、同時に、出逢えばいつか別れる。別れというのは、生きることと併走している。
哀しみのかたち、表情は、どれひとつとして同じものがない。幸せの風景は似通っているけど、哀しみの情景は全部違う。
自分に言葉が足りないから、本の中に新しい言葉を求めるんだ。新しい言葉を見つけることは、新しい世界を見つけることだ。