尾畠春夫さん(ボランティア)の言葉・名言

生きた言葉、敎育とはこういう人にこそあるのでしょう。

人生の転機だから感じる言葉じゃなく、この言葉に接したから人生の転機を迎えることになった。

そんな解釈がふさわしいように思います。

尾畠春夫さんの言葉には、自然と人の心を解放させる「何か特別な力」が潜んでいます。

難しい言葉でも、気取った言葉でもない、「生きた言葉」。

心に留めおきたいそんな言葉の数々を、ぜひ人生の折々に思い出したいものです。

 

かけた情けは水に長せ
受けた恩は石に刻め

人の命は地球より重い

一分でも一秒でも早く探して身内の方にあわせてあげたいなと思った

対価や物品、飲食、これらは一切いただきません。決して”してやる”ではなく、”させていただく”の気持ちで私は臨んでいます

敷居をまたいで家の中に入ることも
ボランティアとして失格だと思っている

人がどうしようと関係ない
尾畠春夫は自分なりのやり方がある

人の命って重たいからね
高齢者だろうが小さかろうが
若かろうが関係なくね

人の命っていうのは
その人しかもっていない命だから

口で言うたものは契約だからな

警察だろうが大臣が来ようが関係ない

朝は必ず来るよ

振り向いたり立ち止まったりしないで
前へ前へ進みましょう

一歩前進ということで

私はおいしいものは食べません。
身体に良いものを食べるんです

モットーは

『自己完結』『自己責任』

ボランティア先で何かをもらうということは、
現地の人たちに必要な物資を取るということ。
それはしてはいけない

最後の仮説住宅が取り壊されるまでは
お酒を飲まない

よく食べてよく動くこと。
これが一番

すべては恩返し。
魚を買ってくれたひとに恩返し。

自然の素晴らしさを教えてくれた山にも恩返し。

それだけの気持ちです

ボランティアは被災者に根掘り葉掘り聞かないことです。家が流されたかもしれないし、ご家族が亡くなったかもしれない。これからの生活に途方に暮れているかもしれない。自分が被災者だったら、あれこれ聞かれるのは嫌だなと思うんです。聞くことはたった1つ。『おけがはなかったですか?』。この一言だけです

私の収入は国民年金だけ。月に5万5000円です。お金がないなと思ったら、朝ごはんだけ食べて、昼と夜は食べない。それだけのことです

来る者は拒まず、去る者は追わず
が信条

善意を断るわけにもいかないでしょう。金銭は一切受け取りませんが差し入れであればありがたくいただきます

世の中はなるようにしかなりません。「やるだけやってやろうじゃないか」と心を入れ替えたのです

(自分だけ奉公に出されたことに対して)

後ろ向きで得をすることなんてありません。だから自分はプラス思考という言葉が大好きなんです

俺には夢があります。3年間働かせてください。その代わり、絶対に『NO』と言いません。どんな仕事でもやります

 

(魚屋の開業資金を準備するため上京したとき、大田区大森の土木会社の親父に言った言葉)

自分は決めたことは必ず実行するのが信条。これは今も昔も変わりません

いただいた恩をお返しするのは当たり前。それが人の仁義です

酒を断ったわけではありません。中断しているだけです。解禁するときは東北3県の仮設住宅がすべて取り除かれたときと決めています

健康の最大の秘訣はとにかく体にいいものを食べる。これに尽きる

パックご飯は温めるとガス代がかかるのでそのまま食べます。おかずなんていりません。梅干しがあれば十分です

被災地のどんな環境でも寝られるようにするため、普段からゴザの上で寝ています

言動すべてに気をつける必要があります。赤い服を着ているのもこだわりです。背中には名前が大きく書いてあります。これには理由があり、被災している方は身元がわかるほうが安心するんです

被災地に行ったら「暑い」とは絶対に言わない。もし自分が被災者であったならば、どう思うのか。ボランティアさせていただいているという立場を忘れてはいけません

私は逃げるものは追いかけない主義です。そのときの状況に応じた生活をしているだけです

カミさんは、いまは旅に出ている…。一人旅です。「自由にしたい」って。「旅に出たい」というから「はい、どうぞ」と。5年前に出かけて…まだ帰ってない。愛想を尽かされたらそれはそれで仕方ない

自分の人生は自分で歩むべき。私は子供に対してどうこうしろと言ったことはありません。国民の義務さえ果たしていれば何をしてもいい

携帯電話にしろ、パソコンにしろ、そうしたものに振り回されたくない。カーナビも一度も使ったことがありません

孫の言うことは天の声だと思い、その場ですべて燃やしました

 

(一日ピースを2箱吸ってたのを辞めた理由)

マスコミはすぐいなくなるでしょう。私なんて一過性のもの。日本は熱しやすく冷めやすい。自分のことなんてすぐ忘れるでしょう。僕は花火の中では線香花火が好きなんです。小さくても長持ちする。そんな生き方をしたい

いつかは沖縄で遺骨収集したいと思っています。本当は今年実行する予定で、道具など準備をしていました。ところが、災害が続発して断念しました。いまはこちらが優先です。ただ、来年の春にも実現したい

私は保証人も履歴書もなかったですが、店を訪ねて大将の目の前で魚をさばいたら、明日から来いと言ってもらえた

 

(魚屋の小僧をして働きたいと思い神戸の東山商店街の店で募集がでていると教えてもらったときのこと)

貯金はないです。2か月に一度、11万円の年金が入るので、生活費は月5万5000円。息子や娘からの援助? 全然、全然!子供に頼るなんてことは、個人的に絶対しちゃいけんと思っちょりますから

ここは被災地なんだということをよく考えて。被災地に来て、お風呂とか洗濯とか着替えとかいう言葉は禁句です

 

(取材記者が『お風呂や着替えや洗濯は大丈夫ですか』と質問したことに対して)

被災者の方に、いろんなことを根掘り葉掘り聞くことは絶対にしません。こちらからは『おケガはなかったですか』それだけ。家族構成とか何がなくなったのかとか、外から入ってきた人にいきなり聞かれたらいやでしょう。もちろん、被災した人が話をしたいと言ったときは喜んで話し相手になります

被災地には、これまで汗水垂らして働いて築いた財産、命がけで産んだ命を失った方がいらっしゃる。どんな言葉をかけたらいいかなと考えたときに、『立ち止まらないでください。どんなに小さな歩幅でもいいから一歩前に』と。

どんなにつらいことがあったとしても、朝は全世界の人に平等に来ますから。今は悲しいかもしれんけど、明日の朝になったらまた、新しい一日を告げるお日さまが当たるから、夢を持っていきましょうと。自分にもこれを言って、自分を励ましてます

私はボランティアの現場では、絶対に飲み物、食べ物をもらいません。必ず自分で食糧と水を持参するし、車で寝ます。ボランティアを始めた頃に一度『どうしても受け取って』と言われてお菓子の入った袋をいただいてしまったことがあるんですが、それ以来、何かそういう雰囲気を感じたら、そっちには近づかないようにしています。なかには被災者向けの炊き出しの列に平気で並ぶボランティアの方もいますが、その分被災者の食事がなくなってしまうでしょう