樹木希林の言葉・語録・名言(仕事)
樹木希林の言葉・語録・名言(病について)
樹木希林の言葉・語録・名言(生きること)
樹木希林の名言集
樹木希林の言葉・名言
ほんとに笑っちゃうような家庭で、複雑なんだけど、それも面白がるような家族でしたね。(2008年7月)
一人だけプッと脇へ外れてるわけ。それも自分からというより、押し出された感じで。それが私の典型ですね。(2008年12月)
狭い空間で一緒に譲り合って住む方が心が豊かな子になるんじゃないかと思うのね。私なんかは、自分だけの部屋があったから、すごくわがままで嫌なやつになった。(2016年6月)
お客さんが来ても照れて挨拶もできなければ、人と馴染むこともしない。それでだんだん引いて人間を見るようになったんだろうな、と思いますね。振り返ると脈絡のない性格ではないの。ああだったからこうなったと、思い当たるフシがある。(2001年7月)
私は並外れて執着心が無い人間のようです。夫についても、娘についても、自分自身についても、まったく執着するところがありません。なぜ自分はこんな人間になってしまったのだろう。そう考えるとき、思い当たるのは、自分の心の内にある「生きることへのしんどさ」。それは子供の頃からずっと、私の中にありました。しんどいと思いながら、ここまで生きてきたんです。(2007年5月)
私は育てたり立てたりはできないから。私が男に尽くすというのは、こうしてあげるとか、足りないところを補ってあげるとか、そういうことじゃなくて、私が私として生き生きと存在しようとしていれば、それは尽くすということになるんだというのが、私の考えかなぁ。(1988年3月)
いかかいが3年ぐらい続いて、結局は私が荷物を出して、そのままになっているんですけれど。だから、私自身、主人には何もしてあげてないんですから、主人に女の人ができようが、どこでどうしようが、それはとやかくいう権利がないんですけど、主人は私がいちばん感応できる人間なんです。(1988年11月)
なかなか出会える人ではありません。向こうも、これだけ、へこたれない女はいないって。お互いに中毒なんです。主人は私に、私は主人に。だから、別れられないんです。(1988年11月)
内田とのすさまじい戦いは、でも私には必要な戦いだった。戦いの最中にはたいへんな旦那さんをもらったって周りになぐさめられてたんですけど、しまいには内田が”疲れる”って言ったんですよ。”おまえを興奮させておくのは努力がいる”って。(2001年7月)
私のほうがソツなくこなしているから。私も当初はなんでこんな恐ろしく激しい人間と一緒にいなきゃいけないのかって思ったけど、今は大変な女房に出会った人なんだな、と。(2001年7月)
男にカッコいいことさせてあげない私は、まあ、いかなる意味でも最悪の妻でしたねぇ。(2001年7月)
若い頃の私は、裡(うち)にマグマみたいな激しい感情や自我を抱えていて、「こんな状態でどうやって生きて行けばいいんだろう」と戸惑っていた。そんな時、さらに激しい自我を持つ内田に出会ったのね。彼と一緒にいると、自分は意外とまともなんじゃないかと。楽な気持ちになれた。だから、実は救われたのは私のほうなんです。(2015年6月)
そもそも私は「みんなよく他人と一緒に暮らせるなぁ」と感心しているんです。私は、人とべったり一緒に暮らすのが向いていない性質ですね。あちらも大変な方ですが(笑)、まぁ、私もかなり大変な人間だと思いますよ。(2015年6月)
あの人は、3万円しか財布になくても100万使うとか。人のお金と自分のお金の区別がつかないだけで、私よりずっとノーマルな人なんです。(2016年6月)
最終的にこういうところに着地したってことは、なかなかいい人生の閉じ方だと思います。(2009年1月)
私たちはずっと生きていけちゃうような気がしますよね、一瞬一瞬はね。その結果、そういう言葉の掛け合いみたいなものがね、ない。そう。言葉ひとつで、人が長い歴史の夫婦が癒やされるんじゃないかなって思います。やさしい言葉ってんじゃなくて、夫がやさしくなれるような言葉。妻の心が溶けるような言葉。やさしく声を掛ける、ということじゃないんですよね。なんか言葉って面白いな、っておもいましたねぇ。だからって言葉を匠に使おうってんじゃないけど。(2009年1月)
私はがんになったときに、命が限られたと思いました。そのとき、私がやらなければならないことは何だと考えたんです。子供は自立して、孫もいて、孫は親たちがいるから大丈夫だと。問題は夫なんですね。さして自分では悪いと思わなかったんですが(笑)、長い間ほっぽっといたことはとりあえず悪い。向こうの悪いことは棚に上げておいて、私の悪かったことをずっと考えていって、まずはどうあれ夫に謝ってしまおうと思ったんです。(2007年1月)
私は昔から日本人がもつ、自分が悪いかどうかわからなくても「ごめんなさい」という気持ちが好きです。(2007年5月)