樹木希林の名言集

樹木希林の言葉・語録・名言(家族について)
樹木希林の言葉・語録・名言(仕事)
樹木希林の言葉・語録・名言(生きること)
樹木希林の言葉・語録・名言(病について)
樹木希林の名言集
樹木希林の言葉・名言

楽しむのではなく、面白がること。

それは依存症というものよ、あなた。自分で考えてよ。

みなさんがおやりにならないのなら、やらせていただきます。

当たり前に歳をとっていきたい。

日常を演じるのは大変ですよ。そのためには自分を俯瞰で見て、普段の面白いことを感じていかないと。

どの女とどうしようが一つも束縛しない。ちゃんと生きようとするには、この野郎!とつい怒りをぶつける人間が要るんです。あいつにもそんな人間が要るんです。怒りがあれば生きる原動力になる。


(別居生活に訊ねられたとき サンデー毎日)
倦まず弛まずやり続けていくうちに苦痛がなくなっていくんです。ほら、主婦が台所病にかかるでしょう。私の人生、このままでいいのかって。これはやり続けるしかないんですよ。何の役にも立たないようなことでも、やり続けることでしかその尊さが見えてこないんです。

(ストイックな一面について訊ねられたとき サンデー毎日)
そうよ、もうダメよ。

(養生しない母親がついに入院し、「いよいよ私もダメみたい」と漏らしたときの返答)
今回の役ではね、人間の顔はこうやって崩れていくんだというのを画面で出したいと思ったの。それを見せられれば「もう、この作品が最後でいいな」とすら思った。

(映画『万引き家族』のインタビューで)
自分の人生にとって厄介な人がいるということ、そういうものを背負っているということは必要なことだなと思いますね。それは旦那でなくてもいいんです、子でも親でも。そういう厄介な人がいるから、自分が成熟していく。厄介だなと思ったらそれまでだけど「血がつながってるからしょうがない」と思えばいい。

(夫、内田裕也さんと別れない理由を訊かれたときの返答)
自分で立ち位置を変えていくの。そうすることで人間は成長する。もちろん、一人で気楽に生きていくのも人生よ。でも、それじゃあなかなか成長しないだろうなと思うの。背負わなくっていいもん。いつでも厄介さから逃げられる。
日常を生きてるからだよね。ふだんから、お手伝いさんや付き人に「これ、お願い」「あれ、持ってきて」ってそんなことやっていて、現場で衣装を着させられて、はい、お芝居スタートってわけにはいかないのよ。おかみさんの役をするにしたって動きがぎこちなくなる。そういうものよ。うちで掃除をして、洗濯をしてって、当たり前の生活をやっていないとできない。それは昔、久世光彦さんが言ってたの。
今は当たり前になっちゃっているけど、役者がテレビや舞台挨拶に出る場合にスタイリストがついているでしょう。それを見てると不思議に思うの。用意された服を着続けて自分のことがわかるのかねって。少なくとも、役者をやろうと思う人間だったら、自分がどう見えるのかというのは常に考えないとまずいんじゃないの?って。スタイリストはよかれと思って、流行りのものを持ってきたりするじゃない。だから、みんな同じような格好になっちゃう。それがどれだけおもしろくないか。そういう服を着ることが一種のステータスだと思っているのよ。

(舞台挨拶や授賞式に至福で登壇することについての返答)
買わない。ここ何十年も買い物はしていないのよ。着られない服があるなら、生地をほどいて、足したりしながら着ている。本木さん (義理の息子) のスーツも肩はぎして着ますよ。下着だってそうなの。「余ってるのよね」って人がいれば、それをいただく。何かが欲しくて、それを買いに行くってことはもう随分ないわね。あるものを使うし、合わなかったら自分に合うようにする。そういうことが自分を作っていくと思うから。

(ふだんの買い物はどこでしているのかと訊ねられたときの返答)
私は「なんで夫と別れないの」とよく聞かれますが、私にとってはありがたい存在です。ありがたいというのは漢字で書くと「有難い」、難が有る、と書きます。人がなぜ生まれたかと言えば、いろんな難を受けながら成熟していくためなんじゃないでしょうか。この年になると、がんだけじゃなくていろんな病気にかかりますし、不自由になります。腰が重くなって、目がかすんで針に糸も通らなくなっていく。でもね、それでいいの。こうやって人間は自分の不自由さに仕えて成熟していくんです。若くても不自由なことはたくさんあると思います。それは自分のことだけではなく、他人だったり、ときにはわが子だったりもします。でも、その不自由さを何とかしようとするんじゃなくて、不自由なまま、おもしろがっていく。それが大事なんじゃないかと思うんです。
まわりと自分を比べて恥ずかしいだなんて思わない。おねしょだって恥ずかしいとは思ってなかった。こういう価値観を持てたのはありがたかった。勝因とさえ言ってもいい。これはもう親の教育に尽きますね。親がえらかった。
うちの両親はとにかく叱らない親でした。「それはちがうでしょ」と言われた記憶がない。記憶にあるのは「あんたはたいしたもんだよ」と言われたこと。子どもってヘンなことを言うでしょ、ヘンなこともやるでしょ、それをいつも「たいしたもんだよ」と両親は笑ってる(笑)。子どもを見ているヒマのない時代でしたが、ふり返ってみれば、それでもえらかったなと思うんです。
娘にも言ってるのが、「そのうち、ちゃんと自分で挫折するよ」って。まわりはやきもきするけど、あれもこれも親が手を出してあとから「たいへんだったんだから」と言うよりは、本人に任せていくほうがいい、と。
それはへんなかたちで自分を大切にしているからでしょうね。これも親の教育の賜物で、私は自分の評価にこだわらなかったから、本当に自分をぞんざいに扱ってきました。というか、人と揉めるのがへっちゃらなの。たとえば人から贈り物をいただく。でも、だいたいの贈り物って始末に困っちゃう。だから、贈り物に「いりません」って書いて送り返したりしているんだから(笑)。

(人間関係で悩む編集者に)
自分をよく見せようとか、世間様におもねらなければ楽になるんじゃないでしょうか。だいたい他人様からよく思われても、他人様はなんにもしてくれないし(笑)。
計画性があるから挫折するんでしょうね。夢を持つのは大事なことなんだけど、そこに到達できなかったからって挫折するのはバカバカしいことじゃない。方向を変えればいいの。もし、どうしようかと迷ったら、自分にとって楽なほうに道を変えればいいんじゃないかしら。この地球上にはおびただしい数の人間がいます。人間として幸せなのは適職に出会うことです。自分がこれだと思うことに仕えられるほど幸せなことはありません。もちろん、たくさんのお金を儲けたから適職ってことじゃないし、仕えるのは会社ともかぎりません。そういう、「これだ」と思える適職に出会えた人は一握りしかいないんです。つくづく私も「芸能界には向いてないな」って思うんです。まあ、もうこの年になったら向くも向かないもないんだけどね(笑)。
別に好きでその顔に生まれたわけじゃないと思うけど、その顔で生まれなかった人からすればうらやましいはずよ。その顔を活かすのに命を懸けたっていいじゃない。よく思うんだけど、誰だってチャーミングなところがあるのに、ほとんどの人がそれにふたをしちゃってるんです。たとえば、俳優の小林亜星さんっているでしょ。ドラマ『寺内貫太郎一家』(74年放送)を始めたとき、私たちが主役は小林亜星さんがいいって言ったのよ。亜星さんなんて太ってるぐらいしか取り柄のない人でしょ。
今や、女優もアナウンサーも、最近じゃスポーツ選手もみんな同じ顔だからね。同じような顔に同じような服を来て、それで若い女優さんは「役が来ない」ってこぼすんだから、もうこっちはケンカ腰よ(笑)。
きっと自分だけが助かる位置にいちゃダメなんだろうと思います。自分も降りていかないと。夫は「不良になるのも勇気がいる」と言ってましたが、道を外すのも覚悟がいることです。親も子も今の環境や状況を選んだわけじゃないだろうし、そうならざるを得なかったのかもしれません。でも、それはそれで親子ともどもいっしょにやっていこう、と。路上でもいっしょに生活しようという覚悟を私ならすると思うんです。いっしょに住んでいる人はホントにたいへんだと思いますが、結局、親はその子の苦しみに寄り添うしかないです。言って治るようならとっくに治っています。最初の話に戻りますが、自分が成熟するための存在なんだと受け取り方を変えるのがいいのではないでしょうか。

(不登校や引きこもりの子を持つ親はどうすればいいかに対し)
私はね、お茶は嫌いじゃないんだけど、作法ではまずお菓子をいただくじゃない、あれがね、負担でね(笑)。雑な人間なんでね、和菓子なんていうと、田舎饅頭みたいなの、おばあさんが小豆を煮て、手で、こうくるっと皮にくるんで蒸したようなの、ああいうのが一番好きなのよ。お茶席で出るものはねぇ、あれだけ綺麗に作られていると、なかなかねぇ、それを愛でなきゃなんない、これがくたびれちゃう(笑)。練り物ってだめなのよ、なにか得体の知れないものは駄目ね。

映画『日日是好日』のインタビューにて)
昔はどんな貧乏な家でも、床の間には花が生けられていて、掛け軸を季節ごとに換えて楽しんだものですよ。今はもう全部なくなっちゃった。これはもう、日本の損失ですね。
私自身、年寄りが髪をまとめず長くしているのは好きじゃないので、我慢しながら伸ばしたんです。歯や髪、あとは爪とか、伸びるものには気持ち悪さがあるので、人間の凄まじさが滲むような映像になればと思って、やってみたんですけどね。普通、女優はきれいなところを見せたいから、そういうことはしないけど、私は女優という意識もないし。自分の顔に飽きてきていたので、ちょっと変えたかったということもありました
昔はローンを返すためにあれもこれも引き受けて働いていたし、演技をして何か評価を得たいという気持ちもなかったので、消えてしまうことも含めて、テレビは私にとって都合がよかったんです。ただ、それでくたびれちゃった頃に、がんができちゃって。治療との兼ね合いのなかで生きることになって、自分ができる仕事の分量が限られてきたとき、選んだわけじゃなく映画の仕事が増えていきました