樹木希林の言葉・語録・名言(生きること)

私は人のこと嫌いなんです、煩わしいから。だから友達もいない。私、目がやぶ睨みなんですけど、これも何か意味があるなと。見なくてもいいのにあさっての方向を見て、人間の裏側を見ちゃうみたいなね。そういうところが人と和を保っていけないところかなと。だけど浦原に、人間そのものにはすごく興味があるんです。だからものを創るという点でその興味を出して、普段は独りでいい。
(2008年12月)

いつまで経っても、人間として、なんていうか、豊かな人間に、どの方向へ行ったらなれるのかなぁって、役者としての仕事より、そっちのほうに興味が行ってるんですよ。
(2008年12月)

日常生活では、手を抜くことがいちばん。そのためには、徹底してものを増やさず無駄を出さない暮らしをしています。まず買わない。
(2015年6月)

なるべく使うものを減らす。とにかく減らす。何かと何かを兼用できるとか一生懸命考えて、思いついたときはもう最高に幸せ(笑)。不自由?もちろん不自由でしょうよ。不自由なものを受け入れその枠の中に自分を入れる。年をとるというのは、そういうことです。
(2015年6月)

だんだん身軽になっていくというか、自分の身を削いでいくような感じ。だから何にも大変じゃないんですよ。それに私は衣装さんがいるわけでもない、ヘア&メークさんがいるわけでもないしね。女優は年をとると、だんだんにいろいろなグッズが多くなるんです。化粧品や健康グッズやら、それはもうすごいんですよ。トランク一つなんて人はいないでしょうね。そこが私の変わっているところです。
(2013年11月)

私の日常はつまり用の美ですよ。…必要に応じたものがあるという生活ぶりです。
(2015年6月)

失敗することもたくさんあるけれど、歳をとったせいか、すぐに忘れちゃう。特に嫌なことは(笑)。だから「あのとき、こうしておけばよかった」と後悔することも一切ありません。いつまでも後ろを振り返るより、前に向かって歩いたほうがいいじゃないですか。
(2015年7月)

何でもおもしろがって毎日を楽しく過ごしていたら、いい歳のとり方ができるんじゃないかと思うのですが、どうでしょう。
(2015年7月)

命の限りを実感できてよかったのは、心の整理ができること。ガンという病気は、たいていいくらか残された時間があって、その用意が間に合うんですよ。
(2015年7月)

死を感じられる現実を生きられるというのは、ありがたいものですね。いつ死んでも悔いがないように生きたい。そう思っています。
(2015年7月)

わたしは自分のことで人を煩わせるのがすごく嫌なんです。自分のことを自分で始末していくのは大人としての責任だと思うから。
(2015年7月)

自分にとって不都合なもの、邪魔になるものをすべて悪としてしまったら、病気を悪と決めつけるのと同じで、そこに何も生まれて来なくなる。ものごとの良い面と悪い面は表裏一体、それをすべて認めることによって、生き方がすごく柔らかくなるんじゃないか。
(2014年5月)

最近のわたしは、”きょうよう”があることに感謝しながら生きています。教養ではなく、今日、用があるということ。神様が与えてくださった今日用をひとつずつこなすことが日々の幸せだし、最後には、十分に役目を果たした、自分をしっかり使い切ったという充足感につながるのではないかしらね。
(2014年5月)

「死をどう思いますか」なんて聞かれたって、死んだことないからわからないのよ。
(2017年5月)

私の話で救われる人がいるって?それは依存症というものよ、あなた。自分で考えてよ。
(2017年5月)

面白いわよねぇ、世の中って。「老後がどう」「死はどう」って、頭の中でこねくりまわす世界よりもはるかに大きくて。予想外の連続よね。楽しむのではなくて、面白がることよ。楽しむというのは客観的でしょう。中に入って面白がるの。面白がらなきゃ、やってけないもの、この世の中。
(2017年5月)

今の人たちは死に上手じゃなくなっちゃってるよね、もう、いつまで生きてるの?っていうぐらい、死なないし。生きるのも上手じゃないし。
(2017年1月)

生きているのも日常、死んでいくのも日常なんですよ。
(2017年1月)

「もっと」「もっと」という気持ちをなくすのです。「こんなはずではなかった」「もっとこうなるべきだ」という思いを一切なくす。自分を俯瞰して、「今、こうしていられるのは大変有り難いことだ、本来ありえないことだ」と思うと、余分な要求がなくなり、すーっと楽になります。もちろん人との比較はしません。
(2018年5月)

いつ死ぬかわからない。諦めるというのではなく、こういう状態でもここまで生きて、上出来、上出来。
(2018年5月)

自分はどうしたいか、何をするべきか、とにかく自分の頭で考えて自分で動く。時に人に頼るのもいいかもしれないけれど、誰にも助けを求められないときにどうするかくらいは考えておかないと。
(2016年6月)

幸せちおうのは「常にあるもの」ではなくて「自分で見つけるもの」。何でもない日常や、とるに足らないように思える人生も、おもしろがってみると、そこに幸せが見つけられるような気がするんです。
(2016年6月)

(やり残したこと?)そんなの、ありませんよ。もともと欲がないんだから。もちろん、自分の言動に反省することは日々死ぬまで続けていくと思いますけどね。ただ、浄化されておしまいにしたいという野望はあります。
(2015年6月)

「薪尽きて火の滅するがごとし」が理想です。迷惑をかけた人たちに「すみませんでした」と告げて、パッと燃え尽きることができたら最高だなぁと思います。私はね、女優としてではなく、一人の人間として、ひっそりと逝きたいのよ。だからもし私が表舞台から姿を消しても、決して追いかけないでね。
(2015年6月)

私は、人間という存在そのものが「やがて哀しきもの」だと思っています。日本人には「ものの哀れ」という感覚がありますが、人はみな、どんな人生を送ろうとも、最後には「やがて哀しき」に終着するのです。
(2007年5月)

やっぱり、ぽっくりがいいわよね。私の両親はふたりとも70代半ばで、床に伏して1週間ぐらいで逝ったのね。子どもとしては、とてもありがたくて、上出来!と思いました。私自身も、両親と同じように、最期は娘に上出来!と言ってもらいたいと思うわね。
(2016年6月)