人間として幸せなら、その環境に対応してゆくエネルギーも出てきます。
ー『朝日新聞』昭和35年9月9月19日夕刊ー
殿下のお導きがなかったら、私は何もできませんでしたし、東宮さまのご指示とお手本がなかったら、どうして子供を育てていいかもわかりませんでした。私もお点ではなく、差し上げるとしたら「感謝状」を。
ー昭和59年ご結婚満25年に際しての記者会見ー
祠のようなものでいいので、陛下のおそばに造ってほしい。
ー平成24年 羽毛田信吾宮内庁長官の言葉ー
家を離れる時に「陛下と殿下の御心に添って生きるように」と父の言った言葉を、いっそう大切にしてこれからも過ごせたら。
ー昭和59年 お誕生日に際しての記者会見ー
御用邸にもどって後、高揚した様子で常にも増して活活と動いたり、声を出したりしており、その様子が可愛かったことを思い出します。
ー平成0年 お誕生日に際しての文書回答ー
「生きてるといいね ママ お元気ですか」文に項傾し幼な児眠る。
ー平成23年 被災した少女が書いた手紙に心打たれ詠まれた歌ー
人々に見守られつつ御列の君は光の中にいましき
ー平成21年 天皇陛下ご即位の日を回想して詠まれた歌ー
人の一生と同じく、国の歴史にも喜びの時、苦しみの時があり、そのいずれの時にも国民とともにあることが、陛下の御旨であると思います。
ー平成7年 お誕生日に際しての文書回答ー
50年の道のりは、長く、時に険しくございましたが、陛下が日々真摯に取るべき道を求め、指し示してくださいましたので今日までご一緒に歩いてくることができました。
ー平成21年 天皇皇后両陛下ご結婚満50年に際しての記者会見ー
どうかこれらの人々が、最も的確に与えられる情報の許、安全で、少しでも安定した生活が出来るよう願うと共に、今も原発の現場で日々烈しく働く人々の健康にも、十分な配慮が払われることを願っています。
ー平成24年 お誕生日に際しての文書回答ー
その時ある思いが去来したというよりも、お側で過ごさせていただいたかけがえのない日々が、とうとう終わりに来てしまったという寂しさだけを感じておりました。
ー平成元年 天皇陛下ご即位に際しの記者会見ー
私がどのように役に立っていけるか、まだよく分からないのですが、必要とされる時には話し相手になれるようでありたいと思っています。
ー平成12年 お誕生日に際しての文書回答ー
もう45年以前のことになりますが、私は今でも、昭和34年のご成婚の日のお馬車の列で、沿道の人々から受けた温かい祝福を、感謝とともに思い返すことがよくあります。
ー平成16年 お誕生日に際しての文書回答ー
50年前、普通の家庭から皇室という新しい環境に入りましたとき、不安と心細さで心が一杯でございました。今日こうして陛下のおそばで、金婚の日を迎えられることを、本当に夢のように思います。
ー平成21年 天皇皇后両陛下ご結婚満50年に際しての記者会見ー
これからの一年も、今までと変わりなく、人々のしあわせを願いつつ過ごしていきたいと思います。
ー平成8年 お誕生日に際しての文書回答ー
私どもの生活には、大切なことのためには、時としてリスクを冒さねばならないこともあるのではないかと思っています。
ー平成10年 英国、デンマーク訪問前の記者会見ー
恵まれた環境に育てられ、私は人の善意を信じてきました。
ー『毎日新聞』(昭和33年11月27日)ー
今度のことは、たいへん大きな出来事には違いありませんが、普通の結婚と根本では少しも変わりません。
ー『毎日新聞』(昭和居33年11月27日)ー
もし、私がどんな方とご一緒になることになっても、それはその方自身が、ほんとうに私の結婚の理想にあてはまる方だからということです。
ー『週刊朝日 増刊号』昭和46年4月5日号ー
よい家庭がつくれて、それが殿下のご責任とご義務をお果たしになるときの何かのお心の支えになり、間接的な、小さなお手伝いとしてお役に立てばと心から望み努力をしたいと思っております。
ー昭和33年11月27日 ご婚約発表後の記者会見ー
弱く、悲しむ人々の傍らに終生よりそった何人かの人々を知る機会を持ったことは、私がその後の人生を生きる上の、指針の一つとなったと思います。
ー平成16年 お誕生日に際しての文書回答ー
こうした不条理は決してたやすく受け止められるものではなく、当初は、ともすれば希望を失い、無力感にとらわれがちになる自分と戦うところから始めねばなりませんでした。
ー平成23年 お誕生日に際しての文書回答ー
陛下のお側で人々の幸せを祈るとともに、幼い者も含め、身近な人々の無事を祈りつつ、国や社会の要請にこたえていきたいと思います。
ー平成16年 お誕生日に際しての文書回答ー
皇室も時代と共に存在し、各時代、伝統を継承しつつ変化しつつ、今日に至っていると思います。この変化の尺度を量れるのは、皇位の継承に連なる方であり、配偶者や家族であってはならないと考えています。
ー平成6年 お誕生日に際しての文書回答ー
どちらかと言うと遠くから見守っていてくれます。節度を保っていきたいという家族の気持ちは、寂しくても大切にしなくてはなりません。
ー昭和61年 お誕生日に際しての記者会見ー
これからも私たちは、日本の各地の人々の生活を知るために、これまでどおり公的な旅を続けていきたいと思っています。
ー平成14年 ポーランド、ハンガリー訪問前の記者会見ー
一つの立場にある厳しさをことごとく感じる日々にあっても、私がそれをプレッシャーという一つの言葉で認識したことは無かったように思います。
ー平成19年 スウェーデン、エストニア、ラトビア、リトアニア、英国訪問前の記者会見ー
人生は好きです。楽しいと思います。
ー『毎日新聞』昭和33年11月27日ー
かつて自分が本から受けた恩恵に対し、今も私が深い感謝を抱いていることをお伝えし、世界のあちこちで、今日も子どもと本を結ぶ仕事に携わっておられる方々に、その仕事への評価と、感謝をお伝えすることではないかと気付かされました。
ー平成14年 スイスで開催された国際児童図書評議会の創立50週年記念大会での挨拶ー
日本の神話や伝説の本は、非常にぼんやりとではありましたが、私に自分が民族の歴史の先端で過去と共に生きている感覚を与え、私に自分の帰属するところを自覚させました。
ー平成14年 スイスで開催された国際児童図書評議会の創立50週年記念大会での挨拶ー
あれこれ希望することは、これからお上がりになる方に一つの決まった枠を与えるようなことになるので、控えたく思います。
ー昭和53年 お誕生日に際しての記者会見ー
叱らなくてはいけないときは、ちゃんと叱ってください。
いろんなことを、わたくしは知らないのです。まず、実情を知りたいと考えて……。
ー『週刊女性』昭和41年12月17日号ー
人のあり方や行為が、時として、外からは測ることの出来ない思いに支えられていることを知り、驚くことがあります。
ー美智子様が著した絵本『はじめてのやまのぼり』序文ー
読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても
ー平成10年 第26回国際児童図書評議会ニューデリー大会でのビデオテープによる基調講演ー
生まれて以来、人は自分と周囲との間に、一つ一つ橋をかけ、人とも、物ともつながりを深め、それを自分の世界として生きています。
ー平成10年 第26回国際児童図書評議会ニューデリー大会でのビデオテープによる基調講演ー
子どもたちが生きていく世界が、どうか平和なものであってほしいと心の底から祈りながら、世界の不穏な出来事のいずれもが、身近なものに感じられてなりませんでした。
ー平成14年 スイスで開催された国際児童図書評議会創立50周年記念大会の開会式でお祝いの挨拶ー
〜(親友が語る)美智子様が愛された10冊〜
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『でんでんむしのかなしみ』:amazonで確認
『言葉の木陰』:amazonで確認
『ピアノ調律師』:amazonで確認
『シーヴズの事件簿』:amazonで確認
『日の名残り』:amazonで確認
『THE ANIMALS「どうぶつたち」』:amazonで確認
『THE MAGIC POCKET「ふしぎなポケット」』:amazonで確認
『橋をかける 子供時代の読書の思い出』:amazonで確認
『バーゼルより 子供と本を結ぶ人たちへ』:amazonで確認